クラヴィコードとは14世紀に登場し19世紀の半ばまでの600年以上もの間、ヨーロッパで隆盛した非常に長い歴史を持つ鍵盤楽器です。ピアノの直接の御先祖にあたる楽器です。2本ずつペアになった弦をタンジェントというマイナスドライバーの先のような金属片が各キーに付いていて打鍵すると下から突き上げて音を出します。したがって打鍵の仕方によってかなり幅のある強弱が自在に出せます。最大の特徴は「ヴィブラート=音を揺らしたような効果」を付けられることです。
タンジェントは指がキーを押し下げている間は弦にくっついているのでこの指を上下にゆっくり揺らしてキーに圧力を加えると音程さえも上下し、「ヴィブラート」をつけることができるのです。「ヴィブラート」が付けられる鍵盤楽器はこのクラヴィコードだけです。
バッハはこの楽器をことのほか好んで弟子や息子達の教育に常に用いたといわれ、その薫陶を受けた彼の息子達もまた父以上にこの楽器を偏愛し、クラヴィコード独奏曲を多数作曲しました。
音色は弦をはじいて音を出すチェンバロやヴァージナルとは全く異質の東洋的幽玄に満ちた(あくまで個人的主観ですがこの楽器には琵琶、あるいは笙などなどの邦楽器の音色の持つ妖艶さ、わびさびの美学を感じます)もので神秘的とも言える例えようもないほどの張り詰めた静謐な世界がそこにあり、詩人ゲーテもこの楽器の虜となって習いにまで行ったそうです。
最近はクラヴィーア作品だけでなく、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタやパルティータなどからかいつまんでクラヴィコードで弾くことをしています。するとこれが大変にいいんですね。弦楽器奏者だけの宝にしておくには勿体無さすぎます。バッハも実際、クラヴィコードでヴァイオリン作品を弾いていたという弟子の証言があります。
クラヴィコードに限らないことですが古楽器を弾くことで鋭敏になる感覚の一つに「音程感覚」があります。長3度と短3度を同じタッチで弾いてはいけないですし、増4度や減音程が頻出するのにインテンポで機械のようにチェンバロやピアノを弾く方に唖然とさせられることもありました。ピアノ教育においても、特にバッハやバロックの作品を弾く際にもっともっと音程感覚を強く意識することを重視すべきと思っております。
「音程」は二つの音が存在してはじめて成り立つものですが、それはあくまで「紙の上」での話で、血が通った演奏をするにはその二つの音が放つ「音の放物線」ともいうべき二本の減衰していくカーヴをイメージし、それを交わらせて一つの「円」にしなくてはならないのです。その瞬間に初めて霊妙な球体のような音程の「果実」が出来上がるのです。二本の線が「平行線」のままではいけません。タッチに無頓着だとまず「円」にはなりません。
今、「円」や「放物線」などと言いましたがこうしたことに加えさらに「浮力」というものを意識するとチェンバロでもピアノでも演奏が「根底から」変わります。バッハ父子からハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(さらにはブラームスまでも!)が骨の髄まで叩き込まれたクラヴィコードの奏法、そして現代ピアニストではアンドラーシュ・シフや故ピヒト・アクセンフェルトはピアノでバッハを弾く前に必ずクラヴィコードでさらったという習慣は楽器さえ手元にあればすぐにでも実行して頂きたいものと思っています。
幸い、クラヴィコードは場所も取らず、音量も全く近所迷惑にもならずしかもチェンバロに比べ、はるかに廉価という現代人にとっていいことずくめの楽器なのです。
今、教室では異なる2種類のタイプのクラヴィコードでレッスンをしています。そのうちの一台は北欧の名工による珍しいタイプのもので横204cm、幅60cmという巨大なクラヴィコードです。音域も下はファから上はドまでの6オクターブ近くまである非常に広いもので鍵盤も現代のピアノとほぼ同じサイズ、18世紀のスウェーデンでクラヴィコードメーカーとして絶大な人気を誇ったlindholm(リンドホルム)という製作家に基づくものです。
響板面積が広いため非常にロマンチックな包容力のある、深海にゆっくりと潜っていくような感慨を覚える音色です。
クラヴィコードは追い求めれば虜になる魔性を秘める楽器とつくづく感じます 。
最近ではピアノではおなじみのクラーマー=ビューロー練習曲をあえてクラヴィコードで弾くという試みを行っています。欧州でも一部でチェンバロのエチュードとしての可能性が見直されていますが特にピアノを主体に弾く方がタッチをもっと良くしたい場合に効果的です。ベートーヴェンより一つ年下のクラーマーは、ベートーヴェンをして「世界最高のピアニスト」として称賛、エチュードは「私のソナタを弾く最良の準備である」と言わしめ、さらにはそのエチュードから21曲を自ら選んで注釈まで付けたメモを残しました(この唯一の出版譜は当教室にあります。)
ちなみにシューマンも「頭と手の最高の訓練になる」と絶賛、同時代のレンツ曰く「まさに練習曲においてクラーマーは詩人である」、さらにショパンも弟子のレッスンにクラーマーを弾かせました。(ツェル二―を使ったという証言は無し・・)
類稀なレガート奏法の名手であったクラーマー、このエチュードをクラヴィコードで弾いてみるとクラーマーがこれを弾く人に何を身につけさせたかったのか、その明確な意図が次々と分かってきました。正に究極のレガートが血肉になるように仕組まれています。1805年に書かれているということも踏まえ、クラーマー自身、これをピアノのみならずクラヴィコードでも弾く可能性やその効果を意識していたことは充分ありうるという確信を持つに至りました。どの曲もコンパクト、バッハを尊敬してやまなかっただけにバッハに似たような曲もあり、音楽的に美しく、初心者から比較的上級レベルまで合わせた曲があることも魅力です。