「天保12年製のプレイエルピアノ」

1841年製のプレイエルピアノについて私なりに思ったことを綴ってみます。

プレイエルというのは言うまでもなく、ショパンが最も愛したピアノです。
この1841年製のプレイエルはショパンが所有し、演奏会や弟子へのレッスン
で使用したものと同型のピアノです。

初めてこの1841年製のプレイエルを弾いた時はまさに「ショパンの吐息に接する」思いでした。その後、友人のピアニストがこのピアノを使って演奏会をされたのですが、会場の舞台の袖の陰ににショパンその人が「確かにそこにたたずんでいる」ような不思議な感覚を覚えました。神秘的な空気が、まるでそよぐ風のように巻き起こることが演奏会では時としておこります。客席で聴いていた私は思わず涙が出そうになる感覚を覚えました。

同じパリの楽器でも私の部屋にある1890年のエラールと弾き比べると「50年の時の差」をまざまざと感じさせられます。

キ―が沈む深さも軽さも違います。アクションもエラールのダブルエスケープメント(現代のピアノの標準装備ですね)に対抗するかのような「シングルエスケープメント」。これはブロードウッドから学び受け継いだ方式ですがエラールに比べて独特のタッチです。音量もエラールに比べると密やかで、ショパン曰く「ヴェールがかった銀色の輝きを帯びた音色」と評しています。

最初、こういったことに慣れるまでに少々時間を要しますがしばらく弾きこむと腕や手首に「翼が生えたかのように」軽やかに感じられ、チェンバロを専門としている僕の手にとっても容易に打鍵できます。

抑えられた音量は派手さとは無縁ですが、弱音の弱いタッチで弾けば弾くほど、まさに「銀の粒子のきらめき」が響板から聴こえて(見えて?!)きます。その過程の途上で弾き手は知らず知らずのうちに「指先」に神経を集中させようとし、このピアノから美しい響きを引き出そうと「思考する指」へと変えてくれます。「感じ、考えずにはいられない繊細な感覚」を養うことができるのです。これはクラヴィコードの感覚にも共通するもので、ショパンがクラヴィコードにも触れた可能性を考えるならば、当時大多数のピアニストが音量も豊かで広く流通していたエラールを使ったのに対し、ショパンは敢えてプレイエルを選んだ理由もうなずけるものがあります。

当時の弟子や友人たちの証言でショパンの演奏の特筆すべきは、その「類いまれなるピアニッシモ(pp)の表出」とありますがこのプレイエルはどこまでも深く広がる「弱音の美」を追求したくなるピアノだと改めて実感させられます。

また当時は「第二響板」と言って弦の上を覆うかのように薄い木の板を置いて、さらに音量を抑えて弾かれていたのですが「ショパンの求めた音」の本質とは何なのか考えさせられます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次