6月22日はNicolas Siret(ニコラ・シレ1663〜1754)の命日でしたので、彼のクラヴサン曲集第2巻(1719年刊)からお送りします。(※2023年記)
①組曲ト短調より アルマンド
②組曲イ短調より シャコンヌ
同世代に有名なF.Couperin(フランソワ・クープラン1668〜1733)がいますがクープラン家同様、シレ家も17世紀初頭から代々世襲で幾つかの教会のオルガニストを務めてきた一族でした。
興味深いのはこのニコラ・シレがF.クープランと終生親交を結び(シレがクープランの生徒であったとする学者もあり)、互いに同じタイトルの曲を作曲したりと、リスペクトしていたようです。
私生活もなかなか波乱。45歳で8歳上の富裕な名士の娘と結婚(シレが準備していた結婚資金6000リーブルに対し新妻の持参金は6倍近くの35000リーブル)。
しかしこの婚姻は一年も満たずして破綻し離婚。妻と義妹との高価な家財類、調度品使用をめぐる動機が不可解な争い(妻名義の家に起居していた?)、妻はさらに自分の死後、夫が家を所有できないよう二本の蠟燭で屋敷の四隅に火をつけ全てを炎上させ葬り去ることを強く望み明言したとか(妻は離婚の翌年、死去。病気を患っていたそうですがそれが心身どちらのものだったのかは謎です。)
離婚から8年後に再婚、今度の妻は1712年からその死の1762年まで40年間も教会のオルガニストでした。今で言う共働き、シレ自身の昇進もあってかなり裕福だったそうです。一方で自宅敷地内の住居を新婚夫婦限定の無償の貸家にし(但し、畑の野菜類は週2回採集提供するほか、果樹や花などの手入れも怠らないのが条件)ているのが面白いところですが。
さて、このト短調のアルマンドはF.クープランの第1巻のクラヴサン曲集(1713年刊)冒頭のアルマンドに似ており(こちらもト短調)、シレが第2巻の最初に置くアルマンドとしておそらくそれを意識していたようにも思えます。
イ短調のシャコンヌは、これまた同世代の女性作曲家ジャケ・ド・ラ・ゲール(1665〜1729)の同じ調のシャコンヌと似て繰り返し部分(ルフラン)が低音域で書かれ、独特の仄暗さを秘めた17世紀の雰囲気を醸しています。
時々出てくる同じリズム音型や使い方など、こちらはド・ラ・ゲールをリスペクトしているのか…?
シレっとまとってます衣装はこの曲の時代に合わせ、ルイ14世時代末期から摂政時代にかけての18世紀初め頃の雰囲気を再現してみましたが…